同じ釜の飯を食べていると、、、
08 11 月 2009
職場などの同僚のことを「同じ釜の飯を食う仲間」という言い方をします。同じ釜の
飯を食べていると、人間はどうなりやすいでしょうか? 医師を例に、少し考えてみ
たいと思います。
医療の現場で ”同じ釜” といえば、どの大学にも数多く存在する医局というのが、
わかりやすい(一般の人には、あまりわかりやすくないのかもしれませんが、、、)
かと思います。大学の外科を例にとれば、その外科の医局が一つの釜ということにな
ります。そしてそこに所属する医師が、同じ釜の飯を食べることによって、切磋琢磨
し、医師としてトレーニングがなされていくわけです。
また、同じ釜の飯を食べていると、連帯感も生まれますから、外科などのチームワー
ク医療では、同じ釜の飯を食べることの効用は、とても大きいと思います。そして何
よりも、そうしたことがポジティブに働くのは、そこに所属するすべての人の技術の
標準化がはかれるということです。大学を卒業したばかりの新人の外科医が、いきな
り手術を担当するなどということは、あり得るはずもありません。釜の飯を何年も食
べ続け、技術を習得したうえで、技量に応じた仕事をおこなうでしょう。
今度は同じ釜の飯を食べることの、ネガティブな面について考えてみます。人は顔が
「十人十色」であるように、性格もさまざまです。それを個性ともいうわけです。し
かし同じ釜の飯を何年も食べていると、本来色々であるべき個性といったようなもの
までが、標準化といっては語弊がありますが、均質化される傾向にあるように思いま
す。
さらに医療現場では近年、EBM(科学的根拠に基づく医療)の実践ということが、常
識となっています。EBMは、医療の均質化に貢献します。しかし、EBMだけで医療の全
体像がみえるわけではもちろんありません。
例えば婦人科という釜の飯を食べてきた人々は、不妊症という病気に対しても、均質
的な見方をてしまうのではないか? さらにそれは、EBMの実践で、解決できる。多
くの婦人科の先生は、そのように考えないでしょうか?
私は不妊へのそうした考え方に対して、”不妊治療だけが妊娠に至る道ではない!”
と、主張してきました。もし私が婦人科という釜の飯を食べてきた人間だったら、
「不妊治療不妊」という言葉は、思い浮かばなかったでしょう。
